スペース ■パーマの歴史
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殆どの文献でパーマの起源は、「紀元前3000年の昔、古代エジプトの貴婦人たちは、毛髪に湿った土を塗って木の枝などに巻き付け、天日で乾かし毛髪にウェーブを付けた」と、記されています。

その後、パーマが文献に登場するのは一気に1872年(明治5年)まで飛び、これはフランスのパリのマルセル・グラトウという人物が考案したマルセルアイロンというもので、熱した棒に毛髪を巻き付けてウェーブを得る方法です。今の熱アイロンの原型ですが、一時的なウェーブであり、一度のシャンプーで伸びてしまいました。

一方、ドイツのチャーチル・ネッスラーは、1905年(明治38年)にホウ砂と加熱器具を用いたネッスルウェーブを発表しましたが、ネッスルウェーブが実用化されたのは1920年(大正9年)頃のアメリカで、この頃を境にアメリカではネッスルウェーブが急激に普及しました。

その後、1930年頃からは、加熱器具を使わない方法が研究し始められ、1936年(昭和11年)にはイギリスのスピークマンによって亜硫酸水素ナトリウムを用い加温(40〜50℃)することでパーマのかかることが発表されました。このように加温方式の研究が進められる一方で、室温でパーマをかける研究も進められ、1940年(昭和15年)頃からアメリカのマックドナウなどはチオグリコール酸を用いたパーマの研究を始め、現在の形に近いコールドパーマが出現しました。

日本でのパーマの登場は、1923年(大正12年)にアメリカから神戸に電髪(電気パーマ:亜硫酸水素ナトリウムとアルカリからなる製剤と加熱機器を用いたもの)の器具を輸入したとの説と、横浜に入ったとの説があり明らかではありません。実際に電髪が営業に取り入れられたのは1930年(昭和5年)頃で、1935年(昭和10年)代には大流行となりました。

しかし、戦争の勃発と共に、華麗なおしゃれはそぐわないという日本軍部の不当な圧迫の下で、1939年(昭和14年)には国民精神総動員委員会において定められた「堅忍持久」「ぜいたくは敵だ」などの官製標語の中に「パーマネントはやめましょう」という標語が出され、1940年(昭和15年)8月には大日本パーマネント連盟から全パーマネント業者に陸軍省情報部の命令として、パーマの自粛が求められ実質的に禁止されてしまいました。このような厳しい規制は、1945年(昭和20年)8月の日本の敗戦により解消され、女性の美に対する欲望が一気に解き放たれた結果、電髪はアメリカのモダンな風俗として昭和30年頃に最盛期を迎えています。

しかし、電髪には熱い電線の束縛感と共に毛髪の損傷という致命的な欠点を持っていたため、1950年代前半(昭和20年代後半)からコールドパーマが徐々に普及し始め、1956年(昭和31年)11月には化粧品として初めての国家基準である「コールドパーマネントウェーブ用剤基準」が制定され、電髪からコールドパーマへの移行が一気に進み、1960年代前半(昭和30年代後半)にはパーマの主役はコールドパーマに取って代わることとなりました。

その後、パーマの主役となったコールドパーマは、有効成分の追加(システイン、アセチルシステイン、過酸化水素)や加温式の追加、縮毛矯正剤(ストレートパーマ)の追加など、有効性と安全性を兼ね備えた上で、顧客の希望するヘアスタイルを実現するために進化しています(活動の沿革を参照)。

更に、2001年(平成13年)4月の化粧品基準の制定に伴い、化粧品(洗い流すヘアセット料)でもパーマと同じようなカールやストレートを得ることが可能となった現在では、ヘアスタイルを実現するための薬剤だけではなく、ヘアカラーとの同日施術や仕上がり感などの要望にも応えられるよう、その幅は大きく広がっています。


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